・・・歌にある、それぞれの物語、お伝えしましょう・・・

<9>【〜Amazing Grace〜】
数年前、お医者様のドラマの主題歌として毎週流れ、またコマーシャルでも良く耳にする曲で、題名を知らずとも皆さんも一度は聞いているでしょう。
Amazing Grace … 意味は『驚くほどの神の恵み』 イギリス人である作者ジョン・ニュートンは11歳で学校を飛び出し船に乗った。次第に船はアフリカで 捕えられ奴隷として売買された人々を運搬するようになり、やがてその船長となっていった。その仕事に深く胸を傷めていた彼は39歳で船を降り、母国イギリス で牧師となり第二の人生をはじめる。その中で多くの讃美歌を創った中の最も有名な作品がこの『Amazing Grace』である。 多くの歌い手がこの曲を歌う。 (ジュディ・コリンズがアメリカで歌って世界的に流行った。エルビス・プレスリーも歌っている。)
〔訳〕
驚くべき神の恵み(アメイジング・グレイス) なんと言う甘美な響き
私の様な者までもお救いになる
神の慈愛に導かれ 安らぎを得た
信仰に目覚めたときに姿を現された恩寵の 何と尊いことか…
(2005.03.28)

<8>【月の沙漠】    詩  加藤 まさを (1897〜1977)
この詩を読んで人は何処を連想するだろう…?ラクダがいるんだから…<サハラ砂漠>?<鳥取砂丘>?
数年前、この『月の沙漠』の記念切手が発行された。発行元は千葉県。そう、以外な近さにその故郷はある。

ベージュ(加藤まさを曰く『小麦色』)の細かな、2キロもある弧状の広い御宿(おんじゅく)の、砂浜がそこだ。 加藤まさをは静岡県藤枝の出身、竹久夢ニと並ぶ抒情画家として少女雑誌で活躍し、また童謡・抒情詩・ 小説にも優れていた。病気療養を期に夏よく当地を訪れ、『御宿の砂丘で得た幻想』から生まれた詩であると本人は語っている。
「なぜラクダがいるのですか?」の問いに『馬では西部劇に、牛だと牧場になってしまいます』「どうして一瘤ラクダなんですか?」 『一瘤でないと東洋の感じが出てしまってダメなんです』(サッカーのワールドカップの折、クッキーのラクダの瘤でそう言えば揉めてました!) 「王子さまとお姫様はどこに行ったのですか?」『僕も知らないんです…一緒に考えてください。』と作者は答えている。曲の解説をいくつか見ると 「この二人は我々人間を代表していて、これから待ち受ける人生に向かって進んでいるのだ…」と、ある。 なるほどとも思うし、子供の頃はただ夢描いていた気がする。
水辺の砂丘であるが故、作者は「砂漠」の〜砂〜文字を〜沙〜として「水」を与えている。
様々な訳(わけ)が重なり作者は40数年御宿に行かなかったが、記念像を建てるにあたり再び御宿に出向くことになった。 彫刻家竹田京一氏の美しい像が今砂浜に建っている。これを機に再び御宿と縁が結ばれた作者は、1976年にこの地に移り住み 翌年1977年に亡くなった。
朝日新聞社の本多勝一氏によると、アラビアの砂漠では、『月が朧にけぶる夜は』すさまじい砂嵐の時しかなく、『金や銀の甕など』は飛んでもない話で、 中の水は煮立ってしまい使い物にならず、皮袋に入れる。当然金や銀の鞍では王子とお姫様のお尻は火傷してしまう。…故に、これは日本人のロマンだと!
(2004.5.1)

<7>Allerseelen (万霊節)        R・シュトラウス
今、巷のショウウインドウにカボチャをくり抜いたマスクが飾られている。 Halloween(ハローウィン)の飾りだ。ハローウィンと言う言葉は皆さんご存知だろ う。じゃあ、意味は?日本人はキリスト教のお祭りを商業ベースに取り入れたがる! もちろん、中には知っている方も居られるだろうが、一般人はあの愛嬌の あるカボチャのマスクと楽しげなオレンジと黒の彩色で受け入れてしまうだけ。
 Halloweenとは、 Hallowmas(11月1日)の前夜、人々がお祭り騒ぎをする日の こと。その11月1日をドイツ語ではAllerheiligen(アッラー・ハイリゲン)『万 聖節』と言う。教会暦で特別な祝日を持たない殉教聖人達を偲ぶ日である。ドイツの 先住民族ケルト族が新年の始めの日としたが、その日を835年教皇グレゴリウス4 世は殉教者の日と定めた。
 その翌日。11月2日をAllerseelen(アッラー・ゼーレン)『万霊節』と言う。 元来ゲルマンの民間信仰でクリスマスの時期、あの世に旅立った死者や先祖の霊が自 分たちの家を再び訪れる、と考えられていたことを、998年キリスト教的意味を与 えオーディロ修道院長が『死者をまつる日』と定めた。日本の『お盆』と同じだ。こ の日、人々はお墓にリースやロウソクを飾る。

シュトラウスの楽曲は ギルムの詩に「愛する人を失った恋人が、この万霊節の日の ために花を飾り、再び想い出の日のように戻ってきて!」と静かに美しいメロディに のせて歌われる。

私も友を思いロウソクに火を灯そう。
(2003.10.30)

<6>シャボン玉   野口 雨情 詩
シャボン玉のエピソードをご存知の方もおられることでしょう。
シャボン玉は哀しい歌です。育たなかった子供の歌です。
野口雨情の長女は産まれて8日目に亡くなっています。このことが雨情にとって心に 残り、詩になりました。
“シャボン玉消えた、飛ばずに消えた。生まれてすぐにこわれて消えた。”というの は子の命のことです。

シャボン玉はきれいです。みんな大好きです。この歌もエピソードを知らない間は、 泡の風船だけを思って愉しげでした。でも、短い命の歌と知りとてつもなく哀しい歌 になりました。2月にこれを歌いました。エピソードをご存知無いお客様はきっと 『淋しげに歌うわねぇ』と思われたかも知れません。
(2003.3.29)

<5>きよしこの夜
 12月の声を聞くと日本人である我々ですらクリスマスにソワソワ。・・・そし て、クリスマスと言ったら“きよしこの夜”よね!と言う方がおられるだろう。アメ リカ人もそうなんだそうです。(イタリアでは「幼子、イエス」と言う曲がその役割 を果たしています。)

 この「きよしこの夜」はオーストリア・ザルツブルグ近郊のオーベルンドルフと言 うドイツとの国境の小さな村で生まれた。1818年、オルガンの壊れてしまった村 の教会で困り果てた神父様は、小学校のグルーバー先生に自作の詩の作曲を依頼し、 イブの夜、グルーバー先生のギター伴奏で二部合唱として歌われた。
 たった一度歌われたこの曲は忘れられていたが、オルガン修理にやってきたマウ ラッヒャーがチロルに伝え、ドイツで歌われ、やがて世界中に広がった。・・・と言 うことは、オリジナルの歌詞は当然の事ながらドイツ語なのである。英語ではありま せん。
 その記念すべき教会はすぐ裏手を流れるザルツァハ川の氾濫で流されてしまい、現 在は記念の小さなお堂が建っている。12/24イブの夜はこのお堂を観光客が取り 囲み(日本人がたくさんいるそうです)ミサを行う。また、ザルツブルクの街の教会 でも同じ夜、「きよしこの夜」の曲でミサがある。私も一度参加した。もちろん観光 目当てであろうが、この曲をみんなが歌うのを聞き(ドイツ語が多かった。)連帯感 を感じたのは嬉しいことだった。

[写真 「記念堂」  「その内部」]


<4>「恋とはどんなものかしら」    〜オペラ 「フィガロの結婚」より〜  モーツァルト作曲
モーツァルトのオペラを皆さん、ご存じですか?一番有名なのは「魔笛」?「ドン・ ジョバンニ」そしてこの「フィガロの結婚」でしょうか?
この曲は、小姓 ケルビーノのアリアです。、女性のことを考えるだけでときめいて しまうお年頃。
伯爵夫人の前でスザンナに伴奏をさせて、そんな胸の内を綴った自作の詩を歌いま す。
十代の少年役なので女性が演じることになっている。
舞台はスペイン・セビリア。封建社会の中、平民が知恵を使って自分の御主人を翻弄 させる。この様なストーリーなのだから当時の皇帝はご不快きわまりない。原作の ボーマルシェの戯曲はパリで発禁。
モーツァルトはこのオリジナルを手にして非常に面白がり、ダ・ポンテに台本を書か せて作曲した。
ボーマルシェの戯曲は、3部作になっている。「セビリアの理髪師」(無益の用心)  「フィガロの結婚」(狂おしき一日) 「罪ある母」(もうひとりのタルチュ フ)。
お気づきの方もおられるだろう。ロッシーニの「セビリアの理髪師」はこの連 作の第一部のストーリーです。作曲年代は当然モーツァルトより後のこと。伯爵が フィガロの手を借りてロジーナとの恋を成就する。
「フィガロの結婚」はその夫婦の倦怠とフィガロの結婚式までの道のりです。3部の 「罪ある母」では・・・。な〜んと、伯爵夫人が過ちを犯し、ケルビーノの子供を産 んでしまいます。! ビックリです。凄いですねぇ。
続きは・・・。本読んでみてください。

この曲には個人的な想い出がある。大学受験の自由曲だった。「そんな地味な曲 じゃぁ・・・。」と言われながらの合格だった。私には充分な曲だった。
大学に入り個人練習室で練習していると、ようやく名前を覚えた位の同級生。いきな りバーンと入ってきてご自分の自由曲をキャンキャン威嚇して歌い、「あなたも歌っ てみて」と言われビビッたのを覚えている。

日本でボーマルシェの「フィガロの結婚」を名古屋弁で観た。田舎の伯爵や人々の土 臭さが出ていて、意外さと面白さで目を奪われた。
                                         [写真 ケルビーノ役 横須賀芸術劇場にて]
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<3>『月に寄せる歌』 〜オペラ「ルサルカ」より 〜  ドボルザーク作曲
東欧を代表するオペラのひとつ「ルサルカ」 第1幕、水の精ルサルカによって歌わ れる。
湖に住む水の精。その一人、ルサルカは人間の王子に恋をする。その思いを、夜、 水の中に射し込む月の光に歌う。それがこのアリアだ。
ここまで書くと、これって何処かで聞いたことのある話・・・と思うだろう。
そう、アンデルセンの「人魚姫」。
このオペラの台本作家、クヴァピルは夏の休暇で訪れたアンデルセンの国デンマーク でインスピレーションを受け、エルベン(チェコ人・民謡収集と研究)のバラードと を合わせてこのストーリーを完成させる。
人間になり王子に見初められてお城に行ったものの、話の出来ないルサルカに飽き官 能的な人間の女との熱情に惑わされた王子に恋破れたルサルカはキツネ火にされてし まう。その呪いをとくことが出来るのは裏切った男の血だけだ。けれど未だ彼を愛す るルサルカはそれを拒む。水の精の長老は王子にも呪いをかける。
水の精によって真実を知った王子はルサルカへの愛に目覚め、死を覚悟でルサルカに 口づけし許しを乞いながら息絶える。ドボルザークの音楽はこのメルヘンに時にロマ ンチックであり、時に劇的でもある。
さざめく水面にキラキラと映る月の光をハープのアルペッジョで奏で、柔らかな弦の 揺れる中、王子への募る想いを月に語る・・・。短い曲ではあるがその美しさはまさ に夢・・・だ。


[カメラ  吉住佳都子]

<2>『魔女の歌』   メンデルスゾーン作曲
 私の好きな一曲。本当のタイトルは「もうひとつの5月の歌」と言う。
「魔女の歌」というのはサブタイトルだ。
ヨーロッパには、箒に乗って空を飛ぶ魔女がいるそうだ。
ドイツの魔女達は、5月31日一年に一度、シュバルツバルト(黒い森)の中のブ ロッケン山に集まり、ベゼルブブと言う魔女の親分に挨拶することになっているの だ。親分はみんなを迎え、御馳走だ、ダンスだ、おみやげだ、ともてなし、愉しい一 夜を終えると魔女達はまた箒に乗って自分の家に帰ってゆく。
メンデルスゾーンのこの曲は、その様子が手に取るように分かる。端で見ていると不 気味だが、本人達は愉しげで。箒で、ビュンビュン飛ぶ様子がとっても良く書かれて いる。
この曲に出会って以来、ヨーロッパに行く度、魔女を見つけては連れ帰り、今や我が 家にはおよそ60人もいるだろうか・・・。この曲にあるように、ドイツでは春を告 げる時期であり、台所の火のシンボルとも言われる。オーストリアの魔女は秋口に現 れ、実りのシンボルだったり、イタリアではなぜか12月に現れ、お尻が丸出しの子 が多い。
アメリカの魔女は、みんなオズの魔法使いで、箒に乗っていない。私の中ではこれは 失格。魔女は箒に乗っていなくてはいけない。
最近、ハリー・ポッターが流行った。楽しい物語であった。魔法の学校の箒に乗る授 業を、私は本気で受けてみたいと思っている。

<1>『荒城の月』
 第一回目は・・と考えて、私の瞼に浮か風景から、御紹介しようと思う。その風景には、大分県竹田にある岡城祉。木々の 繁る深い山々に四方を囲まれたこの城祉は風が抜け、松がゆらぐ。そこに独り立つ時の憧れにも似た心地は、この詩、そのものに 思えるだろう。
 もちろん御存知の通り、詩は、土井(つちい)晩翠によるもので、特定の城祉を想定したわけではないが、教えていた (旧制二高)仙台の青葉城祉、そしてその頃訪れた鶴ケ城(会津若松)をイメージしたと本人も語っていたそうです。 ただ、私には、大分竹田の岡城に思えてならない。(瀧廉太郎は曲しか創っておらず、しかも、彼は竹田に二年半しか 住んでいないのだ。)本来これは、「中学校唱歌」として作られ単旋律として発表され、「花の宴」の「え」には、 シャープがつけられていたし、八分音符で書かれていた。
 私のささやかな今までの人生で、涙の出るほど感激した「荒城の月」はもう20年以上、前になろうか・・・。 神奈川県立音楽堂で聴いたハンガリーのテノールの歌ったものです。外国人がナゼ?と思いつつ、その美しい 日本語とマッチした美しい声は忘我の境地だった。
[写真 岡城祉]



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