2002年8月〜2002年12月

〜今年も終わり〜<18>(2002.12.29)
12/24に弦楽部のコンサートが無事終わりました。本番を経験することによって とたくさん学ぶことがたくさんあったことでしょう。OB・OG会も整備され、活発 な活動が出来るといいですね!

終業式にPTA便りが配られた。卒業生としての私の原稿が出ている。「レコ大歌手 になりたかったんだって?!」と、もっぱら生徒がささやく。そうじゃなくって!憧 れただけっていうのにぃ!・・・・そんな話を書きました。ある意味では当時の夢を 半分は実現した感じ、残りの半分は納得がいっていない気がする。いい歳だから、こ れで満足する?いいえ!また初心に戻って残りの半分実現のために前に進もうと思 う。
写真 12/24のコンサート後

〜季節は12月〜<17>(2002.12.23)
今年も残すところ、あと10日になりました。学校は24日で終わります。
弦楽部はそのクリスマスイブに岩間プラザのホールで18:30からコンサートで す。
卒業したOG・OBが在校生とのパイプを作ってくれ、企画してくれた初めての合同 コンサートです。
モーツアルトのアイネクライネやコレルリのクリスマスコンチェルトなど、しっかり したプログラムの中にクリスマスソング有り、受験生の歌ありと豪華です。
私も今学期の授業は終わっているのですが、休日返上しての練習にあさ9:30から 4時近くまで付き合っています。是非聞きにお出掛けください。入場無料です。チラ シはこのコーナーに出ています。

以前は学校の終業式を機に大概の他の仕事も終わっていたのだが、最近はきりがな い。しかも朝から晩までスケジュールが多い。例年はきりをつけてヨーロッパに脱出 するのだが、今年は日本にいてみようかな・・・と思ったら何だか忙しい。たまにい るので、友人からの年末恒例の食事の誘いに出掛けている。あまりに久しぶりなので 話し続けて4〜5時間などアッと言う間だ。それぞれが自分の分野でちょうど活躍の 時期。これまでの歳月みんな頑張ってきたのだと敬意を表します。と同時に励まさ れ、協力を得てまた自分が頑張れます。本当にありがたい仲間達です。ジャンルを越 えて仲間はたくさんいる方が良い!自分の人生がより広がってゆく。それが確認でき る事が何よりの12月のプレゼントだ。長い歳月友達でいられる人を見つけられる人 は幸いだ!

〜新しい格言 『出る杭は・・・』〜<16>(2002.12.15)
 日本はずっと学力向上のために、平等に教育を受けることが出来た。そのお陰 で日本の文盲率はとても低いし計算も出来る。高度成長時代はみんなが力を合わせて やり抜いた。・・・があまりにも“みんな同じに!”が強すぎて個性が無くなり、才 能を認めるのが下手になってしまった。人には様々な能力がある。勉学だけでなく、 手先が器用だったり、音楽や美術に長けていたり。だが人は、飛び抜けた力を出そう ものなら、嫉妬したり足を引っ張ったり。哀しいかな、人間は弱いものです。
 最近の日本経済の低迷によってリストラが起こっています。わかりやすい乱暴な言 葉で言うと、戦国時代ー弱肉強食のようです。今まで『出る杭は打たれる』だったの に、『出る杭』だけが生き残れる様になってきました。けれどその『杭』も出方に よっては分かりません。
 情報番組で面白いことを言っていました。『出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打 たれない!』思わず、な〜るほど!と納得。学校に行ったとき、F先生に話したとこ ろ“それはいい!”と賛同を得ました。みんな、自分の分野で『出すぎた杭』になろ う!

〜 ご飯を食べよう! 〜<15>(2002.12.7)
何を今更言っているとお思いか?学生達は育ち盛り。お母さんが作ってくれたお弁当 は2限時終了の頃には無くなって、お昼にはパン屋さんか食堂って言う人も・・・。 家に帰ればきっと、「ご飯まだぁ〜?」と言っているかしら?
だからみんなはとっても元気。
文明が進歩しても人は口からエネルギーの元である食べ物を摂る。色々な栄養素を取 り混ぜて。一家の主婦であるお母さん方が、毎日毎日献立に頭を痛めながら作ってく れる。
その元気は20代に発揮される。文句を言われながらも作り続けてくれるお母さんの お陰だ。だから20代に不摂生をしても体が保つ。でも20代に食事をちゃんととら ないとそのお釣りは30代に響く。一番働き盛りにバテてしまう。仕事は益々増えて ゆく中、重なる年齢と共に規則正しい生活でコンディションを整え自分を発揮しなけ ればならない。やはり栄養はとっても大事。食が疎かになると気力が弱まる。体力を 過剰に消耗する。忙しければ忙しいほど、食事は摂った方が良い。
先日パーティーがあり、美味しい食事がたくさん出た。結構戴いた翌日、体は軽く、 心もすんなりと前へ向いた。
“ご飯を食べよう!”今日の為にではなく、未来の自分の為に。

〜 オモチャのチャチャチャ! 〜<14>(2002.11.24)
状況によっては人間関係に力関係が生じる。もちろん友達、同僚、先輩後輩などにも 起こりうる。
たとえば、・・・片方が参っていれば片方が慰める、と言った具合に。
当然の事ながら、大人と子供の関係にもある。先生と生徒も当然なのだが、それこそ 状況如何によっては見た目とは裏腹、内心は違うのである。
 ちょっと若かった(!)頃。初めて教壇に立ったとき、高校生が大きく見えて毎回 の授業がヘトヘトだった。ビビッていたに違いない。数年たって慣れてきた。
もう少し立つと生徒とのやりとりが愉しいものとなった。
ある時、授業で「わたしゃ、みんなに面白がられてオモチャだね〜!?」すると、男 子生徒曰く、「オモチャにしてるのはどっちだい!」とボソッと言いきられてしまっ た。「へっ?」私は気づかなかった。(・・・そういうことなのかぁ?授業が愉しい のは!)いえいえ、と〜んでもありません。私は日本の宝である青少年をありがたく お預かりしているのです。
でも、みんなとの授業はた〜のし〜いな〜!オーホッホ!

〜 ボキャ貧 〜<14>(2002.11.17)
 最近の若いもんは言葉の表現力が貧弱だ!と大人は言う。確かにそう。
授業で解説を読んでも、読めない漢字が多くて意味も知らない。読み方と意味の宿題 を出すことがあって、音楽の授業のはずが、国語と化している。
ましてや、表現と来たら・・・。
  例えば、
1.『驚く』 あ〜、ビックリした。 2.『もっと驚く』 メチャビックリ 3.『とっても驚く』 超〜ビックリ
                                                で終わる。
日本語は本当に表現豊かな言葉なのに、残念です。

先日、伴奏者のところで練習しているとき、私の会話の中に『微妙〜』と出てきた。 伴奏者すかさず「ちょっと、高校生との会話じゃないんだからその『微妙〜』という 言葉使うの止めてよね!」と叱られた。そう思って自分の会話を考えてみると、まぁ 高校生言葉が用いられている。反省。授業も大人の言葉で話すことにしよう!ねぇ、 みんな。私と一緒に大人言葉で話そうよ。

〜 初心 〜<13>(2002.11.10)
講師である私は、みんなに良かれと思って色々なことを生徒に言う。そのひとつひと つは、私が心から信じていることなのでデタラメではありません。私の理想でもあり ます。それに添って生きてきました。

今年は、私の周りの大切な人達にアクシデントがあり、準じて私も心身ハードになり ました。
私のモットーは『去年よりもより上手に!』です。・・・ところが、今年はそんなわ けで考えられない状況がありました。
今ようやく自分のことを考えられるようになり、ハッと気付きました。果たして私は 自分のモットーや、理想に向かってやって来ているだろうか・・・と立ち止まってみ ました。
高校生に声楽を教えながら、自分の言っていることの通りに私もやってみました。そ んなのわかっている!と言うようなことも。・・・そして、ご無沙汰していた歌の先 生の所にレッスンに行ってきました。久しぶりに教えていただいたひとつひとつが新 鮮で宝物のようでした。自室に戻って今、初心に戻って先生の教えて下さったことを 練習しているのです。

私をはじめとする大人の欠点は、わかっていることと、出来ていることとは別である ことに気づかないことだろう。『初心忘れるべからず!』の格言があるが実感するのは 難しい。今回実感できてラッキーだと思っている。私はまだまだ未熟だ。

〜 弦楽部のこと 〜<12>(2002.11.4)
 長〜い歴史のある弦楽部。昔は、オーケストラ部と呼ばれ、ベートーベンの交響曲 などやっていた。
いつの頃からか、顧問の先生が趣味でバイオリンをなさることから先生を囲んでの部 活になっていた。私が生徒の頃もそして講師としてきてからも。廊下から聞こえる音 色はチョー現代曲・・・?と思いきや、モーツアルトォ!なんてこともあった。しか しいつの時代も部員達は本当に弦が大好きだった。
 顧問の先生が退官なさり、さらに数年経ち、御縁があって私がコーチとして参加。 部の名前も弦楽部に変わりました。専門家でない私が出来ることは限られています。 でも、部員達は私が求めていることにそれは早く反応します。各楽器2〜3人。
「ファーストやってみて!」と言ったって、その日一人のこともある。彼らは躊躇せ ず当たり前に弾く。「えーっ!」なんて言わない。どんどん吸収し上達していく。面 白いように。
 今年合宿で、練習癖がついたそうだ。文化祭は目を見張る上達振りだった。去年以 上だ。文化祭直前、廊下を歩く生徒達が弦楽部の練習している「パッフェルベルのカ ノン」を口ずさみながら通り過ぎていくのを見て、とても嬉しく思った。OG・OB 会も整備され、12/24には、現役生、卒業生合同で“クリスマス・イブコンサー ト”が開かれる。
結構なプログラムです。折角上達したから、このまま卒業させたくないな〜!留年さ せるか?・・・!

〜 ビビリ・失敗・挫折〜<11>(2002.10.26)
大事なことをしようと思うとビビる。ビビると失敗する。失敗すると続ける元気がな くなる。挫折する。

自分のやろうと思うことが大きく感じるときは準備が足りないことが多い。なぜビビ るかと言えば失敗するのがイヤだから。『失敗は成功のもと』とよく言われるけれ ど、「そんなの解ってる」となる。でもちょっと待て!
ひとつの事をやるのには入念な準備が必要で、それでも足りなくて上手くいかないと き(失敗)は、さらに準備を整える。上手くいけば成功。まだ出来なければもっと準 備する。目標を諦めなければ、『失敗は成功の過程』であり、目標を諦めたときその 失敗は、『挫折』と呼ばれる。
続けてやろう。自分を信じよう。
・・・これは、みんなに言っているのではない、歌を続ける私自身がいつも自分に 言っていること・・・。

〜せお的人物分類論〜<10>(2002.10.21)
   な〜んのことも無いんだけれど、音楽の仕事をしていると色んな人に出会う。素晴 らしい人にもあった。何だかな〜の人にも。あったま来ちゃう人にも。父が言った “おまえな、世の中利口千人、バカ千人と言うんだ。”
でも納得がいかなかった、煮えくり返った頭の中で分析が始まった。何とも納得のい く答えが得られた。これより、せお的分類の発表です。

   世の中、  1.女のおばさん 2.女のおじさん 3.男のおばさん 4. 男のおじさん

この4種に分類できます。ウジウジしているのは、男女関係なく、『おばさん』で す。豪快きわまりないのはやはり男女かかわらず『おじさん』です。見た目では解り ません。私の友達なんか、体も華奢でおしゃれですが、豪快きわまりないのばっかり です。『おじさん』です。私は「嘘つきだよね〜!」と言います。
たとえ何かのことで腹が立ったとしても、「おばさんだからしょうがないか〜。」と 思うと腹も立ちません。
もちろん格好いいのは『男のおじさん』です。
この分類論を仲間の男性に話しました。「そうだよな、瀬尾はよ〜(この人は呼び捨 てにします)『おばさん』って呼ぶより『おじさん』のほうがしっくりするもん な〜。」は、はぁ?『 お、おじさん』ですかぁ、やっぱり。(笑)

〜誰かが見ている〜<9>(2002.10.13)
  今週も一人特訓志望者が来た。今年はどうなってんのかなぁ・・?これで締めきりで す!

ホームページが出来てから様々のコメントを聞く。私のプロフィールを見た生徒や卒 業生,そして大人の人も「先生って凄いんだねー。」と、声も態度も変わる。
・・・何がだろう。私はプロフィール(肩書き)で生きているわけではありません。 実際目の前にしている私が私です。
友人でアマチュアのオーケストラの指導をしていた人がいる。団員に粗末にあしらわ れていた。ところが、国際コンクールで優勝したら団員達は手のひらを返すように扱 いを変えてきたそうだ。彼も一言。「コンクール前と、後とボクは少しも変わってい ないよ。」人間不信になったそうだ。

仕事で九州に行った。旧知の方々と再会した。
昔栄えた街がある。若者が都会に行ってしまい今は過疎だ。その町に残った若者達は 自分達の町おこしに立ち上がる。2年前行ったとき、みんなで相談していた。今回 行ったら、「竹楽(ちくらく)」という、竹で作った灯籠に火を灯し、街中至る所に 置く幻想的な祭りを始めていた。そのお陰で、毎11月来たこともないような人数の 旅行者で溢れるそうだ。竹は切らなければ新しい竹は出てこない。お年寄りばかりに なってしまって切れなくなってしまったのだ。街を挙げて切ればお年寄りを助けられ る。
本当に実現して街を活気づけている。私達は実際これほどのアイデアと実行力で自分 の街を助けられるだろうか?素晴らしい人達だと思った。深く感銘を受けた。

肩書きで人は分からない。市井の中にどれほど素晴らしい人がいることか!出会った 自分が見つけて認めることだ。そして、自分のことも誰かが見ている!
折しも今週ノーベル賞の発表だった。田中さんは日本人ではなく!外国の人がスゥ エーデンに推薦したそうだ。
人は見ている。


〜音楽準備室〜<8>(2002.10.6)
  我が準備室には、たくさんの訪問者がある。
もちろん、ここの主は専任のA先生。吹奏楽の顧問でもある彼の元には部員を始め、 楽器業者などが多く訪れる。
パート(!)の私の所には、それほどではない。しかし、たまに人生を抱えてやって くる生徒がいる。
とても声楽には縁の無いと思える人もやってくる。
『瀬尾先生いますか?』『はい、何でしょう?』 『小学校の先生になりたいのだけれど、入試の課題に声楽曲があるんですが・・ ・。』・・・という吹奏楽部員。

『小室哲哉が所属しているマネージメントのオーディションの1次に受かっちゃった !もう少し声域を広げて2次審査受けたいのですが・・・』『エッ?いつ』『あと、 3週間後。』『時間無いじゃん!大変』 この二人は今特訓中です。

かつてここの主は、私の恩師だった。もの凄く出来る方で、私がひとつ、二つの仕事 をやっている間に、彼女は五つはこなしていた。とても厳しい方だったので、「鬼の O先生、仏の瀬尾」だった。
いまのA先生は若くて、とてもお優しい。いつの間にか生徒にクレームを付けている のは私。いまや「鬼の瀬尾、仏のA先生」だと。「ん〜?・・・えっ、何ですって? ハブとマングース?」 さて問題。どっちがハブでどっちがマングース?


〜祭りの後〜<7>(2002.9.29)
  お揃いのバンダナと黄色いTシャツの男子学生が炊飯器の前に座ってジッと待ってい る。
それを見た私、・・・この子達は家で炊事の手伝いをしているのかな?いいや、して いないよね。・・・。
カレーライス屋の彼らはてんてこ舞い。ビビンバは評判だったので、楽しみにしてい たのに売り切れで 食べられず。文化祭は彼らに様々なものをもたらす。
3年の音楽クラスの発表もハラハラものでしたが、終わりました。ジャズは新鮮で大 人の人達の人気でした。
ロックンローラーの君、「ジャズは未体験ゾーンだったけどもう一回やりたかっ た。」クラシックのピアニストさんも 同様、「最初は難しかったけど、面白かった。」と。


21,22日と文化祭の翌日、吹奏楽部が定演だった。偶然の日程に、前日の疲れが あるのだろうが、日頃の成果を出さんと無心に心と動きをひとつにしていただろう。 数年前の当時の3年生が言っていたことを思いだした。
『ブラスのみんながあれだけ出来る為にかけた時間のことを考えると、同じ時間に私 は何していたんだろう・・・とショックだった』
やっていたブラスの人達は全てをそっちのけ!さあ、これから少しは勉強しようね。 (笑)

全てが元に戻り、授業がまた始まった。


〜旬なヤツ〜<6>(2002.9.22)
  『15,16,17と〜、あたしの人生暗かったぁ〜』と歌っていたのは、宇多田ヒ カルの母でした。

私が高校で教えている事を知ると必ず訊かれることがある。「最近の高校生はどうで すか?」
どう?と訊かれても・・・。「15,16,17年分、生きてきた魂は昔も今もおん なじ。」と答える。
世の中に敏感な彼らはすぐに流行りに飛びつく。(ただのミーハーとも言う)
髪の色はアッという間にカラフルに。耳ピアス、そして鼻ピアス。中にはひょっとし てへそピアスもいるかも。
ワールドカップが始まりぁ、すれ違う男子の多くが髪の毛を真ん中に集めて立ててい る。ベッカム・ヘアーだと!
ベッカムはハンサムなんだけど・・・。
ワールドカップが終わりぁ、みんなの髪は元に戻っている。今度は夏休みの合宿で丸 坊主になってきた。
本当に変幻自在です。でも、心の中は生きてきた分の魂です。

これからやってくる未来に向かって、自分の夢に向かって真剣に考えています。好き な子のことを考えてドキドキしたり、喜んだり、ガックリしたり。
私だってそうだった。瑞々しい心で精一杯暮らしてた。
もちろん時には、大人の代表である先生達を悩ませたり、困らせたりしている生徒も いる。こういう人達は大人になりたくないんだね。
大人扱いして欲しいのに、いざというときは子供になって逃れようとする。モシモ シ、甘いんです。責任は自分で取るのです。
大人になると言うことは、学業を終える事でもなければ、歳を取ることでもない。職 種やましてや金を稼ぐことでもない。
人として大人になることは、自分で誇りを持って、責任取れることだ。言い訳せずに 自分を見つめることが出来ることなんだ。周りを見てごらん。いろんな人が居る。輝 いている人は自分で責任取ってる人です。

でも、『15,16,17と〜、』人生明るくやってください。君たちの細胞は今が 旬だよ。輝きの原石だよ。


〜世界的な忙しさ・・・?〜<5>(2002.9.15)
猛暑の夏休みを終え、2学期。生徒達は疲れも見せず元気に学校に来ている。(授業 中には眠っているかも!)
9月21,22日は文化祭。それに向けて校内は賑やか。
その昔、桜高と言えば合唱部だった(3年連続全国1位ということがあった。)が今 は合唱部は消滅してしまった。
ブラスバンド部が盛んだ。弦楽部も頑張っている。
私は、コーチとしてこの2つの部に関わっている。「何を教えているの?」と言うこ とになる。
ブラスバンド部では、発声を通じて腹式呼吸とフレージングのレッスン。弦楽部に は、全体の音楽的なまとめ。
通勤日が限定されている私は、放課後この部の掛け持ち。3:30から3:45基礎 レッスン、もう一つの部へ3:45から。ところが内容によっては時間通りにはゆか ず“1分、残業してあげよう!” “5分だけ残業!”などと言いながらレッスンし ている。走って次の部活へ。生徒曰く、“世界的忙しさ〜!”
・・・まあね、学校ワールドの放課後だけね!めっちゃ忙しいのはホ・ン・ト! あ〜、忙し!

文化祭どうぞお出掛けください。
彼らの演奏を始め、3年生音楽クラスの4人ジャズセッション(チック・コーリア 風)が聴けます。今練習しています。ステキです。(・・・と書いたので、みんな頑 張るように!!)


桜丘の卒業生の話<4>(2002.9.8)
今週、仕事を終えて夜10時頃帰宅、何気なくテレビをつけた。画面に、おすぎと ピーコが出ていた。
彼らの番組らしい。ホンジャマカの石塚も出ていた。よく見るメンバーだ。ここまで は何でもないこと。
桜丘出身者達というだけ。ところが、石塚君が桜高の話を始めた。彼が高校時代をと ても好きだったことは
知っていた。ここから、おすぎだか、ピーコだか解らぬどちらかが“あなたって、桜 丘高でしょう?”と、聞いた。
“はい、後輩です。”と言った瞬間、何とテレビの画面に桜花の季節の校門の写真が 出た。キャー!嬉しかった。
人気者で活躍している人達も嬉しいが、全国放送に学校が出てる。こっちの方が嬉し かったな。
ちなみに、TBSのアナウンサーの安藤さんも、引退してしまったけれど、近鉄優 勝の原動力となった阿波野投手も卒業生。N響のメンバーにも卒業生はいますよ。


〜 パートのおばさん!!〜 <3>
私の身分は、非常勤講師。1年間の職員。時間給の年俸制。授業だけの先生だ。 生徒宣わく、“パート感覚でやってんの?” ・・・なるほど。ん〜?でもちょっと 違うかなぁ。
うちの生徒の中には妙に庶民的感覚のヤツがいる。確かに時給だけど。
2年生には、発声、コンコーネ(声楽練習曲集)、歌曲(シューベルトのセレナー ド、トスティのセレナーデ、初恋等)ア・カペラのアンサンブル、オペラ・ビデオの 鑑賞・・・。
3年生には、ミュージカルの、鑑賞と演奏。今は「ウエストサイド・ストーリー」の 「トゥナイト・アンサン ブル」を中心にやっている。もう一つのクラスは、聴音、コール・ユーブンゲン・ピ アノのスケールなど。
この授業、お買い得(!)だと思うんですけど。


横浜市立桜丘高等学校ってどんな学校?<2>
学校は、保土ヶ谷の丘の上にある。
県立公園に隣接している。
名前の如く、学校前の道の両側には桜の古木が立っている。
以前に比べて本数が減ってはいるが(落ち葉がでる、虫がでる・・・当たり前のこ と。でも町内会では 不評だそうな・・・)、春のその季節の美しいこと!桜のアーチになる。
そして、校舎の最上階(4階)に音楽室はある。グラウンドに面した準備室からの景 色もまた、美しい。
春には桜、初夏の新緑、秋の紅葉、そして冬。新緑も紅葉も、木々によって全部色が 違う。同じ色など無い。
毎年のことなのに、やはり綺麗だと思う。
いい環境に輪をかけるように、学校の周りのはお店がない。寄り道して買い食いでき るようなお店が無いのだ。
バス停ひとつ先にコンビニがある。そこが一番近い。駅の方に行くまでない。たむろ できない。
そんな所だが今年はいいことがあった。
サッカーのワールドカップ。
県立公園のサッカー場には青いビニールシートがかけられていた。極秘の練習場に なっていたそうだ。
決勝戦の前日、なんとドイツ・チームが来ていたのだ。学校の帰りにカーンと遭遇し た生徒がいた。
今は便利。携帯電話のカメラで写し、送信してもらった生徒が携帯の壁紙にしてい た。
とっても嬉しげに私に見せてくれた。みんな〜、桜の生徒でよかったね!


母校 横浜市立桜丘高等学校 <1>
 私は、この学校の卒業生。卒業して音大生になったとたん、合唱部のコーチとして 呼ばれ、大学卒業して4年目、とうとう授業の講師となってしまった。学校内を 先生然として歩こうとしたって、すれ違う先生は、皆、教わった先生方ばかり。 小さくなっておりました。その先生方も私を呼ぶ時、ついつい「セオー!」と なるのですが、回りに生徒が居るのがわかると小さく「先生」とつけて呼んで くださるのでした。以来、ん年!ずう〜と居るのです。
 転勤制度が導入され、長くいらした先生方は、他の学校へ移られ、ひょっとして 、私が一番古いのぉ?「え、瀬尾先生って何歳?」「さあ、それは桜高の七不思議の ひとつになっているそうな・・」じぁ、私は妖怪ですかい?

     

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